May 22, 2011

友達が自分の両親と一緒に結婚式の章で結婚式をしています

先日、高校時代の友人が結婚し、結婚式に出席しました。結婚式の章では、友人の親が結婚式の場所と同じ場所だということを聞きました。友人は自分の両親の思い出の場所で結婚式をしたいのですが、そこに決定されたそうです。結婚式当日、友人の両親は結婚式の章で、自分たちの結婚式と子供の結婚式を重ね、非常に感動しました。非常に良い結婚式になります。
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 国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)は5日、昨年3月に開設した常設展示室「現代」にある第2次大戦の沖縄戦に関する展示について、説明文の変更を行ったと発表した。

 歴博がオープン直前に、沖縄戦での集団自決への軍の関与を削除したことに反発がおき、展示内容の変更を検討していた。

 5日から公開された新しい展示では、集団自決に至る理由のひとつとして、「手りゅう弾の配布に示される軍人の指示」があったことを明記した。また、沖縄県内で採集された証言資料約40冊を隣接する図書室に置いた。

 平川南館長は「沖縄戦についての歴史的な解釈を変えたのではなく、表現を変更した」と話した。

 映画「二十四の瞳」などで知られる木下恵介監督(1912〜98)が連合国軍総司令部(GHQ)占領下の1950年に製作しようとして果たせなかった映画の脚本の写しが、国立国会図書館に保管されていることが分かった。太平洋戦争に翻弄(ほんろう)される日系移民を取り上げた内容で、脚本の存在自体ほとんど知られていない。当時はGHQによる厳しい検閲があり、製作が許可されなかった可能性があるとみられる。

 脚本は占領期に文化政策を担当したGHQの民間情報教育局(CIE)の文書として米国立公文書館が保管。各ページを撮影したマイクロフィルムが82年に国立国会図書館に収蔵されたが、そのまま埋もれていた。

 作品は、ハワイに移住した日系1世と現地生まれの2世の親子が日米のはざまで揺れ動く姿などを描いている。あらすじを含めて4編あり、加筆修正を重ねたとみられる。

 題名は「日系市民の母」や「二世部隊」などと記され、監督の欄には木下監督の名があり、脚本の欄には木下監督と著名脚本家だった久板(ひさいた)栄二郎氏(1898〜1976)の名前がある。所属していた映画会社「松竹」が50年3月に製作許可をCIEに求めた文書も添付されている。

 一方、この映画に関する資料は松竹にも残っておらず、脚本の存在も知られていなかった。監督の弟で映画音楽などの作曲家、木下忠司さん(94)は「そんな作品を企画していたなんて聞いたこともない」と驚く。木下監督の資料を探って伝記を書いた作家の長部(おさべ)日出雄さん(76)も「企画倒れになったとは把握しているが、理由は分からない」と話す。

 ◇GHQ検閲で不許可か

 当時、CIEや同じくGHQ組織の民間検閲支隊(CCD)の検閲で、映画の内容改変などが相次いだ。木下監督についても、別の作品で検閲により製作が遅れたことが知られている。

 映画検閲に関する著書もある映画史研究家、平野共余子(きょうこ)さんは推定と断りつつ「日系移民は非常に微妙なテーマで、検閲で許可が出なかったことがあり得る」と指摘する。

 脚本では、日系移民がスパイ容疑で捕まる場面などが「改訂」と記された第2稿ではなくなっている。平野さんは「米国で苦労する日系移民の描写などが、米国が日本で推奨する民主主義と矛盾することから問題になった可能性がある」と分析。「日本の軍国主義を象徴するとして、富士山の描写が削られた例もあるほど表現は厳しくチェックされていた。何とか検閲を通そうとの工夫が伝わってくる」と話した。【曽田拓、袴田貴行】

 ◇12年後に日の目? 松山善三作品に形跡

 「幻の木下作品」とみられる映画脚本だが、占領期を終えた後に別の形で日の目を見た形跡がある。

 62年に松竹が公開した「山河あり」(松山善三監督)は、ハワイに移住した「井上義雄、きしの夫妻」など登場人物の名前が一致し、ストーリーも似ている。この作品に木下監督は「企画」で参加していた。

 撮影助手として「山河あり」のハワイロケに参加した喜屋武(きやたけ)隆一郎さん(78)は「木下さんはほとんど製作には参加していないはず」としつつ、「当時、木下さんの作品の演出と似た場面があると話題になった。木下さんにとって何か思い入れがあった作品なのかもしれないが、今となっては経緯は分からない」と語った。

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